北九州の昔話    朝日新聞2001/01/01((財)北九州都市協会「民話と伝説マップ北九州」)より

北九州語りペの会 ようこそ お話の世界へ
せつぶん
(門司区)
京町の備前やに源さんという飛脚がいました。ある日、大里村の茶屋で休んでいて
畑の玉泉寺に手紙を届ける事を思い出し、峠を登り始めました。
峠で汗を拭いていると修行中の鬼が現れ、仕上げに人間を食べると言います。
源さんは最後の願いに、鬼を英彦山のガラガラに化けさせて、それを飲み込みました。
急いで玉泉寺に行き訳を話すと和尚さんは炒り豆をいっぱい食べさせました。
するとお腹がふくれ、お尻から大きな音『セップーン?』。鬼はお尻の下でぺっしゃんこ。
以来、2月4日の事を『セップーン(節分)』というようになりました。
お三ギツネと
 甚兵衛さん

(小倉北区)
足立山の大谷池のそばに、お三ギツネと4匹の子供がいました。
ある日、甚兵衛さんが通りかかると、お三が子供に術を教えており、娘姿に化けると
甚兵衛さんは声をあげ、町の人にも見せたいと頼みました。
町で宴会が始まり、お三は酒をすすめられ、勘定が残っているいるのも知らず、
しっぽを出したまま寝てしまいました。
その様子を見た店の主人は怒ってお三を外に放り出しました。
次の日、甚兵衛さんは反省してか、まんじゅうをお土産にお三を訪ねました。
喜ぶ子供たちに、また甚兵衛さんの悪さで馬ふんかもしれんと、
お三はくやし涙を流しました。
みる鼻・きく鼻
(小倉南区)
平尾台に、みる鼻・きく鼻という2匹の鬼がおり親分への贈り物を考えておりました。
結局、人間の子供に決め、1人の子供をさらいました。
次の日、うまそうな匂いがするので里に下りると、
人々は家の門口に腐ったイワシの頭をつるし始めました。
目や鼻がきく鬼は、あわてて逃げ出しました。次の日、鬼は鼻にせんをして里で大あばれ。
その翌日の夜、また鬼が里に下りると広場には火が燃えています。鬼が踊り込んだ途端、
竹のはじける音がして大きな火の粉が一面に。
その間に子供は助け出され、こりた鬼は2度と里には来ませんでした。
菅原神社
(戸畑区)
戸畑の天籟寺に、ある日の夕方、旅人の一行が一晩泊めてくれと頼んで来ました。
寺は仕方なく1番どりが鳴くまで、との約束で泊めることに、
しかし、寺は早く追い払おうと小僧にニワトリの鳴きまねをさせたり、
本物をつついて鳴かせたりして、約束だからと夜中に出発させました。
何の不平を言わずに出発した旅人たちが、後で太宰府に向かう菅原道真の一行だと分かりました。
そこで、菅原公の人柄を尊敬して建てられたのが、天籟寺の菅原神社、別名「羽ばたき天神」
だと伝えられ、近くには道真公が手を洗ったという御手洗池があります。
カッパ地蔵
(若松区)
昔、若松には、カッパが群れをなしていました。
カッパの世界も争いが続いて、田畑が荒らされ、人々は困っていました。
ある年、高塔山の池の水をめぐってカッパの空中戦が始まり、田畑が全部荒らされました。
そこで山伏の堂丸総学は、一尺(約30cm)の大釘を作り、高塔山の石地蔵の前で毎日毎夜、
カッパ封じ込めのお祈りを続けました。カッパがいろいろ邪魔をしますが、祈りは止みません。
ついにカッパたちは地蔵の中に封じ込められ、総学が地蔵の背に大釘を打ち込み、
2度と出られなくしました。その後ねみんなは幸せに暮らしました。
おさよと
   狭吾七

(八幡東区)
前田村に狭吾七という木こりがいました。
ある日、村に、おさよという娘巡礼が観音堂に泊まり、病気になりました。
美女がいると若者がたくさん来ましたが、娘は狭吾七にしか心を開きません。
娘は狭吾七の看病ですっかり良くなり、2人は仲のよい恋人になりました。
村の若者はねたんで、祭の夜に狭吾七を殺しました。これを知ったおさよも後を追い自殺しました。
それから村には異変が続き、村の人たちは、2人のたたりだと、小さな社を建て霊をなぐさめたため、
異変は起こらなくなりました。
その社は、現在、仲宿八幡宮の境内にあります。
華姫・六郎太
  ものがたり

(八幡西区)
企救郡西谷の永野良義の城は落城寸前で、城内は大混乱。
その中に桜丸の名を呼ぶ、目の不自由な良義の娘・華姫が。六郎太は連れ出そうとしますが、
華姫は動きません。そこでのどを切り、桜丸の声まねをして城の外へ。
香月音滝山・白縫の滝近くには、目を治す観音があり、六郎太は畑仕事の合間に姫の目の回復を
祈ります。ある日、敵に発見され六郎太は死に、姫も谷底へ。
姫が気がつくと目が見え、六郎太の死体を発見します。姫は尼になり六郎太の冥福を祈りました。
やがて、この里は畑と呼ばれ、観音も畑の観音と呼ばれる様になりました。